アサナを行う時に、大切なこと。それは「自己観察」
さて、ヨーガの目的は「悟り」ということは確かなのですが。。。 この「悟り」という言葉。
日常生活からかけ離れていて、曖昧模糊とした印象が強い方のほうが多いんじゃないかな?
でも結局は「悟り」ということも、「自分を知る」という作業の延長にきっと見出せるはずです。
なせなら本当に自分を知ろうとした時。。。。 独立した存在としての自分を見出すことができないことに気づくから。
自分という存在は周囲の関係性の上に成り立っている。
だから「自分を知る」ということを深めてゆくことは、全体性(要するに全て)を理解しよう!ということに繋がる。
これって。。。言葉を変えれば「悟り」を求めることだよね。
だからヨーガを正しく行じていれば、(困ったことに)悟りを求めるようになってしまう。
さあ、ヨーガなんぞと関わった方は、おかげで大きな課題を背負っちゃいました。 これから大変ですね。(笑)
さて、知るということは、「知識の集積」とは違います。(←これ大事)
特に今の社会では、何かを知ろうとしたときには、検索・ポン!で出てきちゃうから、 こういう「知」ばかりに偏重しがち。
ロクに考えたり、感じようとする前に「答え」が得られてしまうから 人間の質は残念だけど、どんどん薄っぺらになっていきます。
感度が低いから、あれやこれやと情報に頼って振り回されてしまうのです。
「知る」ということを本当に行うためには、「体感」が大事なのです。
「体感」はボーっとしていたら掴みにくい。
「集中力と観察力」 この土台を基に初めて得ることができます。
観察力が上がってくれば、いろいろなものが見えてくる。
例えば、一枚の抽象絵画に向かい合ったときに、 同調なしでは単なる落書きにしか感じられません。
そこから「感動」を受けるには、それを描いた人の感性にどこまで同調できるか ってこと。
「受け取り方」の質をを高めていく。
つまり「意識の感度」を上げること。
それだけでも生活はカラフルになります。
でね。。
「体を使って自分を知ろう」とすること。 これが実はアーサナの基本なのです。
色んなポーズを取ることによって、肉体レベルで様々な刺激を作り出し、その反応を観察する。
よおく観察する。
アーサナをすると、
もちろん体が柔らかくなったり、
ウエストが括れたり、
疲れにくくなったり、
美しくなったりと(←ホンマかいな)。。メリットはたくさんあるんだけど、
あくまで全部副産物。
価値ある宝物を探しにいく冒険の途中で発見する(そこそこの)粗品みたいなものです。
肉体レベルでの自分を「知る」。 肉体が呼吸・エネルギーとどう関わるのかを「観る」。
その変化が心に及ぼす影響を「理解する」。 「集中力と観察力」をアーサナを通じて培っていく。
ほら。同じ体を動かすでも、「目的」をはっきりさせれば、ヨーガっぽくなるでしょ?