◇ヨーガとは何か?◇
もともとヨーガの起源はインド。5000年くらいの歴史があるといわれています。
大昔、まだ文明が発達していないころっていうのは食べ物を森でさがすとか、弓矢で動物を捕まえるとか。
暮らしのテーマの中心は、とりあえずサバイバルすること。
それから農業とか医療とか、いろんな文明が発達してきて、人々が一応人間らしい暮らしができるようになりました。
ほっとできたときって、少し気持ちに余裕ができるよね。
いまの人たちって余裕ができるとだいたいケータイいじくって時間つぶしてるんだけど、
当時はもちろんそんな便利なものはないから、もう少し別のことを楽しんでいたと思う。
それは何かっていうと、「考えるということ。」
食べて寝て、家畜を増やすだけの生活にどっぷり漬かっているだけでは、決して見つからない答えを探すことを楽しんでいた。
僕たちが考えるテーマって、大きく分けると二つあると思う。
・ひとつは「自分の外側」にある出来事について
・もうひとつは「自分の内側」にあるものごとについて
いま21世紀だけど、科学がすごく発達してきたから自分の周りにあるものについては多くが解明されてきてるよね。
遠くに見える星までどのくらいの距離があるのか?
遺伝子はどういう順列になっているのかとか?
自分で考えても絶対に分からないようなことでもインターネット検索すれば大体答えはでてきてくれる。
でも「自分の内側」のことについて本当に役立つこと
これは、インターネットでいくら探してもでてこないんじゃないかな?
ネットで「自分」って検索をかけても自分のことなんて分からない。
「幸福」と入れてみても、宗教団体の名前が出てくるくらいで、ネットで幸福を調べたら幸福になりました。
なんてことはまずありえない。
今の世の中は知識をとても大切にするけれど、「自分とはいったいなんだろう?」といったテーマに対しては、知識をいくら増やしていっても実はあんまり役にはたたないんですね。
外側をいくら探しても見つからない。外側をいくら発展させていっても見つからない。
けれども本当は一番自分にとって必要な答え。
それを探すために、一度自分を社会から切り離して、人里離れたヒマラヤとかにこもって。
修行しながら答えを見つけようとした人たちが昔から沢山いて、そして実際に答えを見つけた人もいた。
でもその答えは、知識として他人に伝えたところでネットで得た回答と同じで本人以外には役に立たない。
だからもっと実践的なこと。
答えを見つけるまでの「道のり」とか「手段」といったこと。
それを過去の行者さんたちが体系付けして後の世に残してくれたもの。
ヨーガというものの原点はそこなんですね。
◇ヨーガは今の僕らにどう役立つのだろう?◇
現代人って5000年まえの人に比べるとたぶん圧倒的にヒマです。
だから本当はそういう真剣なテーマについて考えたりする時間はいっぱいある。
本当は知識は体験と結びつくことで初めて役立つ。けどさっき言ったように現代は情報に頼りがち。
だから、自分で考えることよりも、情報をインスタントに得ることを良しとしてしまう。
何もかもスピード重視です。考えるという「間」をおかずにつねに最新情報のインプット。
だから、なぜか絶えず追われているような感じがしてきてしまう。
ヒマなのに考えるヒマだけは無い。
全ての生き物には生活速度域っていうのかな?
快適なリズムというものがある。
象には象のリズム。こまねずみにはこまねずみのリズム。
僕たち人間が持っている命のリズム。本当はもっとゆったりとスローです。
でも、そのリズムと、今の社会が当たり前とするスピードとは明らかに違う。
自分のその内側のリズムと、外側のリズムのズレがあまりにも大きいと、
生命体としてのレベルから辛くなってきてしまいます。
そんな時、僕らはどういう反応をするかな?
抵抗するか。 過剰適応するか。 投げ出すか。 どれかになるよね。
大学生活って、外から見るととても自由が保障されていて、やってみたいことは何でもチャレンジできるとても貴重な時間に見えます。
小学校とか中学校の時って学校ではあまり自由がない。
だいたい義務教育ってファ〇スト的だから(笑)
でも 大学に入っても、そのときの暗黙の了解に縛られていて、自由な割には、皆とおんなじ方向を向いていないと居心地が悪いんじゃないかな?
本当は立ち止まって自分を振り返ってみたり、自分が本当に好きなことを見つけたりとか、
将来のための準備を楽しんだり出来る貴重な時間が大学生活のはず。
なのに、周囲とかみ合わない状態が怖くて、無理やり合わせようとしている間に、
いつのまにかストレスの塊になっていたりとか。
さて、ヨーガって言葉。これには「調和する」とか「繋がる」という意味があります。
ヨーガではまず、自分自身の体と心を調和させることを大切にします。
もちろん周囲との関係はとても大事です。
でもそれが単なる「適応」であればどこかで無理が出てくる。
「適応」とは、自分の自然を押さえつけて、何かの一部にしてしまうことだけど、
「調和」というのは「同レベル」で融合していくこと。
「新しく何かが創造される」ような関係性を表しています。
では、その調和の状態を「どうすれば?」創り上げていくことができるのか?
まずは、カラダをうまく利用して、自分自身の「内側」にその感覚を見つけてこう。
というのが「ハタヨーガ」と呼ばれるヨーガのやり方です。
実習はまず、ゆっくりとカラダを動かしてみることからはじめればオーケー。
ゆっくりとしたカラダに呼吸を丁寧にあわせていく。
ゆっくりとした呼吸はゆったりとした気持ちへ僕たちを導いてくれます。
そのときに生じてくる様々なカラダやココロの反応を意識化しながら、
自分の内側に居心地のよさを発見すること。
居心地のいい自分であって初めて周りとの「理想的な調和」に繋がることができるんじゃないかな?