久しぶりのヨーガスートラ講義録のアップです。
最近いらっしゃった生徒さんから
「ヨーガスートラ解説読みました。とても分かりやすかったです。」
とナマの感想をもらったら、がぜんやる気だしちゃいました。
ん。。 ぜんぜんカルマヨーガ的じゃあないなあ。。
カルマヨーガ的 バヴァットギーターより
「執着を捨て成功と不成功を平等のものとみて、ヨーガに立脚して諸々の行為を為せ。
ヨーガは平等の境地であると言われているのだ。」
反応があろうが、なかろうが淡々と行為を続けることはとても本当は大事です。
そうならば、自分の行いの動機が「他人の目」でなくなるから、
より行いの選択が「自由」になる。
「好きだから」「楽しいから」を基準に動くことって
わがままみたいに見えるかもだけど
実は仕事を含めた行為の質って、そのほうがぜんぜん上がります。
そして、その「楽しい」という感覚。
それがより深みから届いてくるような「楽しい」だと
自然と周囲と調和がとれた感覚と一致してくるものになるから
「誰かのため」とか「組織のため」みたいなリキみもなく
「誰かのためにもなっているみたいだねー。」という行為を
ごく自然にチョイスできるようになるはずです。
以上のことも自分に言い聞かせているだけですが
もしかしたら「誰かの役にたつこと」かもしれないですね。
ではヨーガスートラ
今回は第一章の5節からどうぞ。
ヨーガスートラ講義④ Ⅰ-5~6 サーンキャー哲学
<Ⅰ-5>
ヴリッタヤハ パンチャタイヤハ クリシュターアクリシュターハ
チッタの作用には五種類ある。
それらは苦しみを引き起こす(クリシュタ)ものと、
引き起こさない(アクリシュタ)のものとがある。
前回まではチッタを「構成」からの視点
・マナス ・ブッディ ・アハンカーラ で考えていきました。
第一章5節からは、作用・・・つまり「働き方」の視点から
チッタについて学んでいきましょう。
ヨーガスートラ的には、ココロの働き方は全部で「5つ」のパターンに
分けることができます。
そのパターンは大きく分けると二つ。
1・苦しみを引き起こすココロの働き方。 と
2・苦しみを引き起こさないココロの働き方。
<Ⅰ-6>
プラマーナ ヴィパリヤヤ ヴィカルパ ニドラー スムリタヤハ
その5つとは、正しい認識(プラマーナ)、あやまった認識(ヴィパリヤヤ)、
概念化(ヴィカルパ)、睡眠(ニドラー)、そして記憶(スムリティ)である。
で、その二つをさらに5つのパターンに分類して、
これから数章にわたって説明されていくのですが。。
その説明の前に、ちょと脱線するけどチッタ(ココロ)への理解。
もう少し深めてみましょうね。
ヨーガスートラではチッタの働きを
・正しい認識 (プラマーナ)
・あやまった認識 (ヴィパリヤヤ)、
・概念化 (ヴィカルパ)
・睡眠 (ニドラー)
・そして記憶 (スムリティ)
の5つに分類します。
こういった分類仕分けは、一つの見立て方というか。。
裏づけに用いられる思想体系によって、他のパターンもたくさん存在するんですね。
仏教や道教 キリスト教 それぞれに、独自の分類があるはずです。
ヨーガスートラの場合、思想体系のバックポーンとして
「サーンキャー哲学」が用いられています。
◆サーンキャ哲学◆
この哲学の開祖は、古代インドのカピラ仙人だといわれています。
この人物は『バガヴァッド・ギーター』にも超能力的なヨーガ行者として登場したりする
伝説的な存在。
「サーンキャ」という言葉の意味は、「リスト」とか「列挙」 「目録」。
科学の世界では、自然の構成要因を突き止めようと、
元素分類から始まって、原子や分子・・クォークなど
極微の次元での存在を探求しますね。
自然の構成物をすべて分類・目録化していきます。
「サーンキャ」もそんな色合いを持っています。
ただし自然科学と大きく異なる点があります。
それは「二元論」と呼ばれる考え方 。
宇宙の構成は究極的にはたった二つの原理に峻別される。
そして2対(つい)の原理うち、一方に探求可能な対象がまとめて収まってしまうと
いうこと。
その収まる側の究極原理のことを「プラクリティ」と呼びます。
そして唯一それに属さない、もう一つの原理を「プルシャ」 と呼びます。
この言葉は前回考察していきましたね。 覚えていますかな?
下の表を見ながら少しお勉強してみましょう。
この表はサーンキャの理論を簡単に図式化したものです。
この哲学は、サーンキャ「列挙」という名の意味の通り、
宇宙のすべてを「24のカテゴリー」に分類します。
具現(現れた存在)として認められるカテゴリーは全部で23.
・ブッディ(知性) ・アハンカーラ(自己意識) ・マナス(マインド)
・・・これらについては一応見てきましたね。
・それに加えて ・5つの感覚器官(目 耳 鼻 舌 身)
・5つの行為器官(発生 手 足 排泄 生殖)
・5つの微細元素(色 声 香 味 触)
・5大元素(地 水 火 風 空)
これが具現、つまり現れた宇宙の全て。
物質 感覚 精神をひっくるめて宇宙を「23のカテゴリー」としてまとめています。
そしてその「23のカテゴリー」の源となるものがあります。
それは何かって言うと、3つの異なった質のエネルギー。
ヨーガではグナと呼んでいます。
サットヴァ(純粋性) ラジャス(活動性) タマス(非活動性)と呼ばれる
3つのエネルギー。
それぞれ以下のような性質を持っているとされます。
・サットヴァ: 純粋、明晰、調和、愛、平和
・ラジャス: 活動性、興奮、情熱、欲
・タマス: 不活発、沈滞、無感応、緩慢、暗
この3つのグナが様々な配合比率の組み合わせをしていく中で、
物質から精神まで「23の領域」が作り上げられます。
ついてきてる(笑)?
そして、じゃあその3つのエネルギーのさらに根源には「いったい何があるのか?」というと、「プラクリティ」と呼ばれる非具現的・・・まだ現されてはいない存在があります。
「23のカテゴリー」の根本だから「根本原質」とも呼ばれます。
その「プラクリティ」。 そして「プラクリティ」と対峙し、決して交わることのない、
孤高のホルンのような存在(笑)「精神原理・プルシャ」
これでサーンキャーでいう「24の原理」を全て紹介したことになります。
ではサーンキャー哲学では 「宇宙どのように生まれたか?」というと
いまの解説を逆からたどることで説明するんですね。
そこには、まず「精神原理・プルシャ」 「非精神原理・プラクリティ」
だけが存在していました。
ある日プルシャは、「おや?」っと。そこに自分以外の存在
「非精神原理・プラクリティ」を意識しました。
プルシャの純粋な意識に当てられたプラクリティは、
3つのグナサットヴァ(純粋性) ラジャス(活動性) タマス(非活動性)
という形にうにゃうにゃと変質していきました。
その3つが、さまざまな組み合わせ方をしていく中で、
まずブッディ(知性)が生まれます。
これは「23のカテゴリー」の中で一番サットヴァ性の比率が高いものです。
あとは下るにつれてラジャス・タマス比率が強くなっていきます。
そのブッディ(知性)から、今度はアハンカーラ(私という感覚)が生じます。
ここで道筋は二つにわかれます。
ひとつは物質的な展開へ。
とっても微細な物質(色 声 香 味 触)から、
粗雑な物質元素(地 水 火 風 空)まで。
もうひとつは精神的な展開。
マナス(マインド・思考)。
その道具としての5つの感覚器官(目 耳 鼻 舌 身)と
5つの行為器官(発生 手 足 排泄 生殖)。
はい。これで世界のすべては、そこに出来上がりました。とさ。
ふう。。おしまい。
んと。。 ぜんぜんピンとこなくて当たり前です。
そのサーンキャーの宇宙理論ってほんとーかいな? って思うかもしれませんが、
コトバの世界って、ぜんぶ「世界を理解できる程度に単純化するための記号」であって、
世界そのものをマンマに表しているわけではありませんよね。
科学でいう元素記号も単なる目印でしょ?
「H2O」が水のもつ「冷たさ」「潤い」「安らぎ」など
性質の全てを現しきれていなくても「見立て」としてはとっても役に立ちます。
だからサーンキャーついてもそんなノリで(笑)
実用的であれば、とりあえず良いのです。 ←あっ。逃げた。
どう実用的かって言うと。。
ヨーガのテーマ・・・意識が進むべき方向が分かりやすく示せるんですね。
サーンキャー理論の用語はスートラに出てくる頻度が高いので、
一応知っておくだけでも、テキストの言わんとすることが、
ぐっと分かりやすくなってきます。
プルシャ・・・真の自己を見出さない限り、
私たちは「生命とは有限で個別の存在である」という認識し続けてしまう。
ゆえにヨーガとは、、チッタ(プラクリティの領域にある自己意識)を
ニローダ(止滅)させるとによって本来の状態。
つまり真の自己・・・永遠無限の意識の場であるプルシャであると
自覚するための実践である。。。でしたね。
プルシャとプラクリティの関係は、まずその程度でもいいから抑えておきましょう。
そして、プラクリティが最初に変質した、3つのエネルギー。
サットヴァ(純粋性) ラジャス(活動性) タマス(非活動性)
この考え方は、ココロの状態の説明から、食べる食物の選び方まで
ちゃんと応用されることになるので覚えておいて損はありません。