◇チッタ・・・心の構成
<Ⅰ-2>
ヨーガハ チッタヴリッティニローダハ
ヨーガとは、心(チッタ)の作用を止滅させることである。
では前置きが長くなりましたが、スートラにちょっとづつ取り組んでいきましょう。
まずはチッタ。。「ココロ」というものについて。
一口に「ココロ」といっても、取り扱い範囲はとても大きい。
一言で説明はできないし、人によって定義がまるで違います。
違うなりに、理解していくためには、どこの文化でも分類して考えます。
例えば理性と感情。
意識と無意識。
魚心と水心 (これはちょっと違うか。。(^^;))
色んな分け方があるんだけど、スートラの場合はまず3つの働きに分類します。
心の構成として覚えたいのは
・マナス
・ブッディ
・アハンカーラ
この3つ。
まずマナスからみていきましょう。
日本語への訳当てが難しいんだけど、経験をデータとして「反応する心」と言うと分かりやすいかな?
コンピューターって、データを入力すると計算して答えをだしますね。
人間の心にも、もちろん同じ働きがあります。
コンピューターがデータ処理をするために、前もって内部にインプットされている方程式を使うように、
僕たちにも内側に経験への理解を当てはめる為の方程式を持っている。
「本能」という方程式。そして「経験及び記憶」という方程式。
マナスは、外からの刺激(インプット)に対して、
高速処理コンピューターのようにものすごい速さでカシャカシャとデータ照合をして、答えをぱっと導き出します。
でも早い分しょっちゅう間違えます(笑)
インドでは「ロープを蛇と勘違いする」というたとえをよく使います。
マナスがなぜ「正確さ」よりも「スピード」をまず優先するかというと、
マナスというのは心の機能の中ではとても原始的な領域に属するからです。
原始的というのは、要するに命ある存在のもつ共通優先事項ね。
全ての生き物としての最優先事項って、いったい何でしょう?
マイホームでも最高のパートナーでもありません。
まず生き残ることです。
繁殖も娯楽も哲学も、まず命が脅かされずに地上に存在できた上で初めて成り立つことだから。
食うか食われるかという状況にあるときに、生き物は流暢に
「ん?これはどういうことかな?」
とは考えません。
瞬間に行動を決めないと、
「あれ?なんで長くてくねくねしてるんだろう?」
なんて考えている間にやられてしまいます。
外からの刺激に対して、本能が「キケン!」。過去の経験が「イメージェンシー!」と告げたならさっさと行動を起こす必要がある。
このようにマナスは生存していくうえでは欠かせない機能です。
ただちょっとモンダイもあります。
マナスは無意識的な反応だから、過去の経験との照合の上、平気で「今の自分には当てはまらないはずの答え」を導いてくれちゃいます。
分かりやすいのがパブロフの犬かな?
ベルの音と食事に直接の因果関係は本当は存在しないのに、ベルのりんりんとよだれのダラダラが結びついてしまう。
だから散歩中にどこかでベルを聞いたら、そこに存在しないいご飯を探してしまいます。
そうすると彼なりの「期待」と「失望」を経験することになります。
それって心の波ですよね。
小さいころに丸顔のジャイアン系にいじめられた経験が根深ければ、
マナスは「丸顔は危険!」と反応するから、アンパンマンみたいないい奴であっても丸顔ゆえに信用できない奴に見えてしまう。
ステキな人間関係が広がっていくはずの未来が、マナスの反応によって簡単に閉ざされてしまう。
人間は人生がフクザツだから、生きている間にたくさんの快や不快を経験していくけど
その経験もまた照合用のデータにどんどん蓄積されていきます。 その現象をサンスカーラといいます。
自分の好きな人がバラが好きなら、バラがきれいに見えます。
ノイジーな隣人がユリを育てていれば、きれいなユリも煩いラッパに見えてくる。
いずれにせよ「ありのまま・・・真実」を観ることからはほど遠い。
「ありのまま」が観れないまま、マナスは反応に対して答えを出す使命を遂行し続けます。
マナスの意味の基本は「反応する心」の他に「感情の働き」も含みます。
感情というものの正体を、出来事に対する反応の有り方として考えてみると、人間だけがこうも感情のバリエーションが豊かなのは、
本能の指令がそれほど強くないせいで反応の仕方がより個人的な記憶や経験に左右されるゆえかもしれませんね。
次にブッディ これは知性の働きです。
例えば木からりんごが落ちました。
「あっ。あれ食べたことある。甘かった。よし食べよう!」
というのがマナスの働き方だとするならば、
「なんで地面に向かって落下するのだろう?」という疑問から、
ついには万有引力まで発見してしまうような心の働かせ方も人間は持っています。
照合と反応だけで終わらない。
推論し、そこからまったく新しい創造性を生み出す力。
それがブッディです。
火を恐れるという反応だけだったら僕たちは今だに洞窟で暮らしていたはずですが、
ブッディの働きゆえに人間は独特の文明を発展させることが出来てきたのは確かです。
ですからヨーガでもゴールにまで至るための梯子。
最後の一歩の「直前」までのパートナーとしてブッディを重要視します。
最後にアハンカーラ
もともとの言葉の意味は「私を作るもの」の意味ですが一般的に「自我意識」と訳当てされます。
「私がある」とか「俺がいる」という実感のことですね。
この3つの機能によってチッタ・・・心が構成されていると考える。
ここまではいいかな?
そしてヨーガの目的とは何かというと
<Ⅰ-2>
ヨーガハ チッタヴリッティニローダハ
ヨーガとは、心(チッタ)の作用を止滅させることである。
と来ています。
今まであーだこーだ説明したことを全部エイヤっと「消してしまう。」ことがヨーガだそうです。
そしてそうすることによって次のスートラ
<Ⅰ-3>
タダー ドラシュトゥフ スワルーペー アヴァスターナム
そのとき、見る者は、本来の状態(スワルーパ)にとどまることになる。
と繋がっていくのですが。
心の作用が消えることで、いったいそこに何が起こり始めるのでしょうか?