今週末、東京で行われた
「ヨーガ療法の基礎としての意識化体験」の講座を2日にわたって受講してきました。
呼吸というツールを主に使いながら
「自己(経験の主体)」の次元、つまり身体に生じる様々な現象を、内的感覚能力を用いて内側から感覚し、経験し、知覚し、認識するという私たちの能力について学ぶことに主眼をおいた「経験重視」の講座。
医学博士の講義ということで、文系代表(理数偏差値2)としては、
ちんぷんかんぷんを覚悟に参加したのですが、とても理解しやすいものでした。
ヴァーユ、プラーナ、パンチャコーシャなど、ヨーガをアヤシク彩るヴォキャブラリーを、理解しやすい医学用語に翻訳して、ロジカルに伝えてもらえるのはとても有難かった。
(もちろん、100パーセントの対価交換にはならないことは博士も述べていましたが)
ヨーガという世界を伝える立場では、どうしてもヨーガ的世界観にたってしまいます。
ヨガワールドをそのままクラスに用いては生徒さんに混乱をきたすので、なるべく一般用語に置き換えて説明してきたつもりですが、まだ「向こう側のヒト」発言が多かったかなとちょっと反省。
ヨーガを深めるというと、どうしても難しいテクニックに走っちゃう。
行として個人の責任でやる分にはいいけど、でもそれって方向のひとつにすぎないのですね。
簡単なこと。シンプルなことをどこまで深めていくか?
二つの方向性からやるのがよいですね。
たとえば呼吸法。
山ほどのテクニックをすべて身につけてゆくことは、高い山に登るような楽しみがある。
でもまったくコントロールしない自然な呼吸をどこまで深く意識化し理解していくか。
これには湖に沈んでゆくような楽しみがある。
到達するために、肉体レベルを高めていくことは、ある程度人を選ぶところがある。
一度の交通事故で全部チャラになってしまうこともある。
でも知覚レベルを深めてゆくことは、誰にでも(やる意思さえあれば)等しく行うことができる。
極端な話、死ぬ前日からでもスタートできて、しかも結果が出せること
ヨーガでいう成長とは、意識の枠を拡げてゆくこと。
心の自由度を高めていくこと。
わかっていてもフィジカルな鍛錬に走りがち
それも大事だけど
でもその「心の正体」をつかんでいくためには、地味なこと とっても大事。
その「地味さ」に、どれだけ「興味や魅力」を持ってもらえるかが僕たちの大事な役割かな?
今回の内容は、ヨーガCのときとヨーガBのときにだんだんと応用させていきますが、
ノートをまとめて、言葉をまとめて、さらに体験として腑に落ちるまでは少し時間がかかるので、来月の後半ぐらいからクラスでもお伝えしていきますね。